サポーターに愛された 桜のレジェンドの今。


セレッソ大阪が誇るレジェンド、森島寛晃氏。今も続く『背番号8』伝説の系譜を生み出した男は、サッカーの楽しさとセレッソ大阪の魅力を笑顔とともに届けている。

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サッカーとセレッソの
伝道師として。

――引退後のセカンドキャリアについて教えてください

セレッソ大阪のアンバサダーとしてイベントや行事に参加して、サッカーとセレッソ大阪の魅力を伝えています。いわば何でも屋さんです(笑)。子どもたちのサッカーイベントで一緒にボールを蹴ることもあれば、地域の盆踊りで奥さまたちと一緒に踊ったりもしています。盆踊りには毎年参加しているので、奥さまたちとはだいぶ顔見知りになりました(笑)。

――2012年にスタートしたセレッソ大阪のエリートコースのコーチも兼任されていますね?

ダイレクター(指導者)として活動しています。エリートコースは小学生が週に1回集まって練習するスタイルで、全5コースあり、それぞれのコースへ時折参加して指導しています。選手たちは地域クラブに所属している子どもたちで、セレッソ大阪のアカデミーの選手ではありません。しかし、その中から中学生にあがるときにセレッソ大阪のジュニアユースに入団する選手も出てきています。現役時代は、なかなか子どもたちのプレーを見る機会はなかったので、今は将来のセレッソ大阪を担う、未来の香川真司や柿谷曜一朗を見る機会が増えて、勉強になっていますね。

――現役時代とサッカーの捉え方は変わりましたか?

サッカーをよく見るようになりました。現役時代は、正直あんまり見てなかったです(笑)。引退後すぐにいただいたブンデスリーガの解説がきっかけで、海外サッカーを見始めて、いろいろなサッカーを見るようになりました。また、サッカー自体の見方も、現役時代はゴールシーンを集中的に見ていたのに対して、引退してからは全体の流れも見るようになりました。解説でスタジアムの上から見ることが多いので、サッカーの見方も少しずつ変わってきたと思います。今は、ゴールを取るためのポジションや選手も大事ですが、それまでの過程で良い動きをしている選手やプレーをプッシュするようにしています。「あの動きがですねー」とか言って(笑)。私もおとりの動きを結構していた方なので、そうした良いプレーを伝えていきたいと思っています。

――将来的には監督としてのイメージもお持ちですよね?

現在は、A級ライセンスを持っています。S級ライセンス取得に動き出すと、1年はそれに掛り切りになるので、今後タイミングを見計らってというところです。やはりセレッソの監督として、ピッチに一度は立ちたいという夢は持っています。まわりからも「何やっているんや」とよく言われますので(笑)。気づくともう引退して7年ですから、早いですね。

 

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現役時代より続く
先輩後輩の関係

 

――関西レジェンドクラブについて、どのような想いでしょうか?

スタートしたばかりで、この活動をやっていくとはハッキリ言えませんが、ただサッカー界でもこれだけの人材が集まれば、いろいろと盛り上げていける形は作れると思っています。こうしたネットワークを形成していれば、サッカー教室やレジェンドマッチなどでも、いつでも集まることが可能です。引退した選手たちがJリーグとの関わりを持ち続けることも、大きな力になると思います。今後の活動には、期待感と使命感を感じていますね。

――ご自身はどのような立場になると思われますか?

代表は、私の大先輩・梶野智さんですからね。私がプロになって初めて海外留学したのがブラジル・サンパウロで、その時に一緒だったのが梶野さんです。向こうで「ピザ食べたいから、お前ちょっと行って来い!」って、ポルトガル語なんて全然話せないのに、買い出しに行かされたのは懐かしい想い出です(笑)。おそらくレジェンドクラブでも、そんな感じで私のフットワークの軽さを期待されているのではないですかね。

 

森島寛晃 HIROAKI MORISHIMA

1972年生まれ。1991年、ヤンマーディーゼルサッカー部へ入団。1994年にセレッソ大阪に改称したチームを牽引してJ1へ昇格。2008年に現役を引退し、その後はセレッソ大阪のアンバサダーとして活躍している。

 

Text by Yoshitomi Nakanishi