映画『渇水』渇くのはカラダだけじゃない。

渇いた世界に、希望の雨は降るのか───。1990年に文學界新人賞を受賞し、芥川賞の候補にもなった河林満の原作を30年の時を経て映像化。映画『渇水』が6月2日(金)から全国公開されます。

主演は数々の作品で多面的な表情を見せてきた生田斗真さん、さらに白石和彌監督が初プロデュースすることでも話題です。一件の停水執行が波乱に満ちた人間模様を紡ぎ出し、現代社会に真の絆を問う…。今ここにある現実として、目をそらさずに観たいヒューマンドラマです。

 

水は無料じゃダメなのか?

電気・ガス・水道のライフラインで、料金滞納による停止は水道が一番遅い。水は生死に深く関わるもので、人は水がないと死んでしまうから最後に止めることになっているようです。

停止までの期間が長いとはいえ、水道は有料。料金を滞納しつづけると止められます。水がないと人は死んでしまうのに、それをストップする作業をしているのも人間…。映画『渇水』の主人公・岩切俊作は料金未納家庭の〈停水執行〉を担当している水道局職員です。

 

季節は夏。日照り続きで町はカラッカラに乾き、水不足から市民プールも休業を強いられています。そんななか、水道局に勤める岩切俊作(⽣⽥⽃真)は、同僚の木田拓次(磯村勇⽃)とともに水道料金を滞納する家庭を訪ね回っています。言い訳をしたり、強気にでたり、滞納者には理不尽な者もいます。どんな相手にも誠意をもって対応する岩切ですが、いざ料金が支払われないことがわかると「停水、お願いします」と冷静に指示を出すのです。

 

真夏に〈水〉を停止する。ある意味、死刑執行のような行為を淡々とこなしていく岩切に、ある料金滞納者は「水なんか、本来、タダでいいんじゃないかな」と嫌味をいいます。また、まだ若い局員である木田も「太陽や空気と同じように、水もタダでいいのでは」とつい本音を口にします。

 

映画の序盤、この〈水は無料にできないのか?〉という問いが頭をもたげます。もちろん、主な水源である雨や雪を浄化して安全に飲むためには、施設や人が必要でコストがかかるのは当たり前。当たり前なのですが、英語では「命綱」だとも訳されるlifeline(ライフライン)に料金が発生し、払えないと停められる。そして、停水を人が指示していることに、なんともいえない不気味さを感じてしまうのです。

映画『渇水』の一場面

 

流れを変えると未来がうるおう、はず。

水道を停めて回る日々を送っている岩切と木田は、ある日、二人きりで家に取り残されている幼い姉妹と出会います。彼女たちの父親は蒸発しており、ギリギリの暮らしをしつつなんとか姉妹を養っていた母親(門脇麦)も帰らなくなっていました。

母親が置いていったお金も残りわずかになっている困窮家庭において、〈水〉は生きていくための最後の砦。その水を停めなくてはいけないのか…。葛藤を抱えながらも岩切は規則にしたがって停水を執り行います。

 

映画『渇水』の一場面

一方、岩切自身も家庭に問題を抱えています。妻の和美(尾野真千子)は息子を連れて実家に帰っており、別居状態。帰ってきてほしい気持ちをもちながらも妻子と向き合うこともなく、息子が植えたひまわりにお風呂の残り湯で水をあげる日々。

この諦念をまとった岩切を表現する、⽣⽥⽃真さんの佇まいが秀逸です。無表情なのに表情豊かで、生田さんの特長でもある大きな瞳が光のない空洞のようにも見えます。

心が枯渇しているのに、枯渇していることに目を向けないズルさや弱さ、そうやって生きてきたという処世術も垣間見えて、岩切という虚無な男に血肉を与えているのです。

 

さて、母親から育児放棄されたうえに水道も停められた姉妹、事務的に停水を行う毎日のなかで妻子からも自分からも逃げている岩切。この2つのどうしようもない現実が交わった先に何が起こるのか───。

水には流れがあります。なにもしないとそのまま流れていきますが、流れを変えると行き先が変わります。映画の結末は原作とは異なっているそうです。新しい行き先=未来には、渇きを癒すうるおいがあるはず。そう信じたくなります。

映画『渇水』の一場面

©「渇水」製作委員会

映画『渇水』

2023年6月2日(金)より、TOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズなんば、T・ジョイ京都、TOHOシネマズ二条、109シネマズHAT神戸などで公開。

公式サイト:https://movies.kadokawa.co.jp/kassui/

masami urayama

関連記事