アドベンチャーランナー北田雄夫インタビュー。過酷な自然と対峙する極限のレースに挑む理由。

南極の氷雪250㎞、オーストラリアの荒野521㎞、ピレネー山脈850㎞、サハラ砂漠1,000㎞を、走る。圧倒的な自然と対峙し人間の限界に挑むアドベンチャーマラソン。鍛え抜かれたアスリートでさえ完走できるとは限らない過酷なレースである。北田雄夫氏は初挑戦した2014年のレース以来、参加したすべての大会で完走し、2017年には日本人で初めて7大陸のレースを走破した。肉体も精神もぎりぎりまで追いつめられる極限状態でなお「一歩」を踏み出せるのはなぜか。アドベンチャーマラソンを走る醍醐味、そして挑戦し続ける理由を聞いた。

 

 

世界には、大自然の中を何百kmも走る過酷なレースがある。

 

――まず、「アドベンチャーランナー」について教えてください。

アドベンチャーマラソンというスポーツがあるんです。砂漠や南極やジャングルなどの過酷な自然環境で、食料や寝袋やサバイバル道具など生きるための道具を自分で運びながら何百kmもひとりで走る。そんなランナーのことです。この競技はフランスの主催者がサハラ砂漠でマラソンレースを開催したのが始まりだと言われていて、今では世界中でレースが開催されています。日本でも「白山ジオトレイル」や「TJAR(トランスジャパンアルプスレース)」などがそうですね。ヨーロッパや北米に比べると日本ではまだまだマイナースポーツですが、それでも年間数百名のランナーがレースに参加しています。最近ではテレビでもレースを取り上げる番組が放送されていますから、ご覧になった方もおられるかもしれませんね。

 

――北田さんは、日本人で初めて7大陸のレースを走破したプロのアドベンチャーランナーですが、もともとは短距離が専門だったとか。アドベンチャーマラソンを始められたのはいつ頃ですか?

2014年、30歳のときに初めてレースに参加して、これまでに15回チャレンジしました。自然環境でいうと、砂漠があり荒野があり氷雪地帯もあり、山岳、ジャングル、サバンナもあり。地理的には、アジア、北米、南米、南極も走りました。7大陸走破は2017年で日本人では初めてですが、世界的にもそういう挑戦をしている人は少ないようです。

 

――いろいろと想像を絶します…。一般的なマラソンレースでは考えられない苦労がありそうですね。

レース自体の厳しさはありますが、本当に苦労するのは、想定外のトラブルです。2016年9月に出たアメリカのレース※1では、右足の母指球のあたりにできたマメが広がって足の皮がずるむけになるトラブルに見舞われました。アメリカ西部の荒野273㎞を6日間かけて走るステージレース※2ですが、それまで経験したレースほど過酷ではなかったし、そんなところにマメができた経験もなかったので、ここまで足がひどくなるとは思っていませんでした。痛みに耐えながら行くのが本当に辛く、痛み止めを飲んだら今度は胃が荒れて食べ物を受け付けなくなった。体力は疲弊していくし、破傷風のリスクもある。とにかく痛みに苦しんだレースでした。

※1Grand to Grand Ultra アメリカ/荒野273㎞ 8位

※2ステージレースは、決められた距離を制限時間内に走るというレースを毎日繰り返してその総合タイムを競う。昼間はレースで夜は休息するのが基本。一方ノンストップレースは、一番早くゴールした選手を勝者とし、制限時間も設けられているため、睡眠時間をどれだけ削れるかも重要になる。大会によっては、レース中の休憩時間についての規定を設けているものもある。

 

――北田さんはその前年にオーストラリアの荒野を521km※3走っておられますよね。経験もあるし、何より命がけのレースだからいろいろな状況を想定して万全の準備をされたと思いますが。

想定して行っても、毎回何かトラブルが起こりますね。日本にはない自然環境なので、日本では考えられない身体の状態になったりもします。暑さ寒さもあるんですが、2017年にモザンビークのサバンナでのレース※4では感染症にもかかりました。もちろん、マラリア、黄熱病、狂犬病など危険な病気の予防接種は受けて臨んでいます。でも、日本では聞いたこともない現地特有のマイナーな感染症もあります。発症したのがレース後で、そこから緊急入院しました。病院では死ぬ思いでした。

※3 The Track オーストラリア/荒野521㎞ 10位 日本人初挑戦

※4 Ultra Africa Race モザンビーク/サバンナ219㎞ 3位 日本人初挑戦

 

 

圧倒的な自然との対峙、自分の限界へのチャレンジ。

――苦労もある反面、アドベンチャーマラソンならではの感動もあると思います。これまでのレースで印象的だったことを教えてください。

そうですね、世界の絶景と出会えるというのは、このレースの大きな魅力のひとつです。2018年に行ったピレネー山脈※5の風景は感動的でした。ピレネー山脈では雲海がよく出るんです。山のかなたから日が昇ってきて、空にオレンジ色の光が差し、眼下には白い雲が広がる。それがむちゃくちゃきれいでした。800km以上も連なる山脈の自然は圧倒的に広大なので、道中の風景も本当に素晴らしかったです。でも、一番心が動いたのはゴール地点の大西洋の風景でした。到着したのは夜で、暗くてはっきりとは見れなかったんですけど。

※5 Trans Pyrenea フランス/ピレネー山脈850㎞ このレースは大会直前に運営側の事情で開催が中止になり、エントリー選手たちによる自主開催レースとなった。北田氏は他の日本人選手とともに18日間で踏破。

 

――それほど過酷な道のりだったということでしょうか。

地中海から大西洋までピレネー山脈を横断するトレッキングコースをたどる850㎞のコースで、僕にとってはそれまででいちばん大きなチャレンジでした。スタートしてからは1日4時間半ほどの睡眠で、後はずっと活動し続ける状態です。標高3,000mで霰や雹が降ってきたり、大雨でコースが滝のようになったり。一度雨に濡れるとずっと服は乾かないまま進むことになります。水場や食料の補給場所はガイドブックなどで事前に情報収集していましたが、あるはずの場所に目的の店がないということもありました。見知らぬ土地で確実性のない情報を頼りに進み続けるというのはなかなかタフな感じで。そんな思いを積み重ねてきた18日間だったから、ずっと目指していた海を見た瞬間、本当に自分の足で850kmの山脈を横断してきたんだ、壮大な冒険を味わったという実感がわいて、ぐっとくるものがありました。

 

――やり遂げたという達成感。自分の限界へのチャレンジがレースの醍醐味ですね。

それは大きいですね。圧倒的な自然と対峙するので、自分の限界なんてすぐに知ることができるし、すぐにくたばれる。それと向き合うのは醍醐味のひとつです。ただこのスポーツは本当に魅力が多い。海外選手と戦友のような関係になるというのもあります。僕が最初に出場したアドベンチャーマラソンは2014年のゴビ砂漠250㎞※6というレースで、そこでハミという韓国人の選手に出会いました。僕より少し年下で、その時は良きライバルという感じでした。次に再会したのが2015年のオーストラリア※7での大会。荒野を行く521㎞のステージレースです。1ステージが40㎞~60㎞ほどで、ステージが終わると用意されているテントに泊まる。僕とハミはずっと同じテントでした。最初はお互いに競争しながらレースを続けていたんですが、終盤になるにつれて僕の精神がかなり落ちてきてました。毎日走って、足は炎症し続けていて、夜も寝付けなくて。でも朝起きたらまた何時間も走る。その繰り返しで、どんどん憂鬱になってきていました。そういう時にハミが声をかけてくれた。「タカオ、今日一日頑張ろう」。で、ふとハミを見ると、彼の足のかかとがズルむけになっているんです。とてもじゃないけどこれで靴を履いたら激痛で走れないだろう。それでも彼は僕が落ち込んでいるのを見て励ましてくれたんです。ものすごく元気をもらいました。そして最終日、レースでは先に出発したハミを後から出発した僕が追い抜く場面があったんですが、すれ違いざま僕もハミも、お互いにエールを送りあった。もう、ライバルとか選手というのを超えていました。二人で励ましあったからこの苦しいレースをゴールできたんです。本当に「戦友」というような感じでしたね。おそらく他のスポーツよりもより厳しい状況に選手たちが置かれていて、しかも多くの場合はチームではなく個人として競技に臨むわけですから、より一層そういう絆が生まれやすい気はします。

※6 Gobi March 中国/ゴビ砂漠250㎞ 51位

※7 The Track オーストラリア/荒野521㎞ 10位 日本人初挑戦

 

 

「人間はすごい」。サハラ砂漠1,000㎞が教えてくれた「可能性」。

――直近のレースについてお伺いします。2019年のサハラ砂漠1,000㎞ノンストップレース※8。高温と直射日光と乾燥で、しかも砂地です。過酷としか思えないのですが…

何をもって過酷というかですが。砂漠で1,000㎞という長距離は過酷ではありますね。砂漠も、景色は本当にきれいなんです。いろいろな表情があって。一面砂漠の風景というのは幻想的で感動しますし、朝日はお日様パワーで元気をもらえるし、砂漠の満月は本当に美しかった。でも、途中からもう地獄です。日中の気温は45℃。レース序盤にお腹を壊したり、食欲がなくなって食べることができなくなったり。足もちぎれたかのように痛くて身体が思うように動かなくなりました。睡眠時間も1日4時間ほどだったので、眠たくもあった。そんな中でも進むっていうのは簡単ではなくて。500㎞の中間地点に来ても、先を考えたらまだ500㎞あるんです。あと何百時間これを耐え続けるんだということを想像すると、心が折れそうになる。そういう過酷さもありました。

※8 La 1000km Mauritanie モーリタニア/サハラ砂漠1,000㎞ 砂漠最高峰レース 6位日本人初挑戦

 

――気が遠くなるような地獄です…そのうえ、チェックポイントに置いてあるはずの食料がなかったというトラブルもあったそうですね。

アドベンチャーマラソンでは食料も含めた自分の荷物はすべて担いで移動するのですが、今回は1,000㎞という長いレースなので20㎞ごとにチェックポイントが設けられていて、さらに40㎞ごとには自分の荷物を置くことができました。それが、800㎞を過ぎたチェックポイントには、置いてあるはずの僕の荷物が届いてなかったんです。荷物の中にはその先40㎞分の食料も入っていて、それまでの苦しい道のりで精神的にも頼りにしていました。それが「ない」。軽いパニックにまずなりますよね。ヤバい、どうしようって。現地のモーリタニア人のスタッフはフランス語しかできなくて、事情を説明しようにも僕の英語はまったく通じない。ショックで、何度も何度も探すんです。でも、砂漠の砂を掘っても出てこない。ただまあ、何となく「何かトラブルはあるだろうな」とは思っていました。海外での大会は、日本のようにすべてが正確に運営されてあたりまえではないんです。僕は今までに出場した大会で何度もそのラフさを目の当たりにしていましたし、この大会も長い距離を少人数で運営しているのでトラブルがあってもおかしくないとは思っていました。だから、完全に心が折れるということはなかったです。まずは落ち着こうと。状況をいったん落ち着いて受け止めて、どう乗り越えるかを考えました。結局、チェックポイントでの食事と休養で体力を回復し、そこでデーツという果物をもらい、手元に残っていた少しのお菓子も大切に食べながら、次の40kmへ何とか進み続けることができました。

 

――もう本当に大変なことだらけですが、その中でもいちばん大変だったのは?

何よりも自分と向き合うことが一番大変でした。「走ろう」「ゴールしよう」という自分がいて、反面、もう熱中症になっててふらふらで、「もう走らなくてもいいんじゃない」とか「やめたって誰も怒らないよ」という弱気な自分もいて。そういう両者と向き合いながら一歩一歩踏み出し続けるという、そんな葛藤を2週間以上もするというのが大変でした。

 

――そういう厳しさもあった中でのゴール。そこまで、何が支えになったのでしょうか。

「諦めたくない」ですね。スタートしたら。もっと言うと「後悔したくない」。本当に限界か、もう一歩も出ないのかっていうと、そんなことは絶対なくて。一歩って、絶対出るんです。どれだけ死にそうでも。どれだけ大変な状況でも。だからその一歩を踏み出し続けたい、ってやっぱり思います。それに支えという意味では、今回は途中のチェックポイントでFacebookでつながっている人たちからの応援メッセージを見ることができて、それもむちゃくちゃ支えになりました。「がんばれ」という一言がエネルギーを与えてくれた。すごく元気をもらえました。

 

――YouTubeでアップされているレース動画では、完走後のインタビューで「人間の可能性を改めて知れた気がしますね」とおっしゃっていたのが印象的です。

それはすごく感じたんですよね。走る前は、「砂漠で1,000㎞」っていうのが、それまでの経験の中でも想像できなくて。本当にこんなことできるんだろうか、実感がなかったんです。でもいざ終わってみると、体力的にはまだ行けそうだなって思ったんですよね。それで、すごいな、人間って本当にすごいな、まだまだできるんだろうな、って。想像すらつかないようなことでも、きっともっとできることがあるんだろうなと、すごく実感しました。

 

――「人間は」すごいんですか?「自分は」ではなく?

僕自身は、すごい才能があるわけではないです。僕より走るのが速い人や強い人は大勢いますし、僕よりもっと暑さに強かったり寒さに強かったり、緻密な計算で行動できたりっていう方もたくさんいらっしゃいます。僕は、言ってみれば「凡人」です。それでも、誰もやっていないことをやってみたいという想いがあって、アドベンチャーマラソンという夢中になれるものと出会えた。そこから一つひとつ積み重ねたことで、最初は思ってもみなかったことを達成することができたんです。そう考えると、人間の可能性は本当に計り知れないと思います。

 

 

マンションでエベレスト登頂。六甲全山縦走55時間無睡眠ラン。

――普段のトレーニングについて伺います。ただ走るのではなく、日本国内いろんな場所を走っておられますね。

長い距離を走るので、せっかく走るのであれば日本を旅するように走りたいと思ったのがきっかけです。僕は歴史が好きなので「歴史街道シリーズ」ということで街道を走ったり、島シリーズで桜島や小豆島を一周したりしました。長崎街道を走った様子はYouTubeでも発信しています。いろいろな場所を走っていると、面白いものにもいろいろ出会えますから、それをみんなと共有できたらいいなと。走ることで地域の魅力を伝えられたらとも思っています。

 

――レースに備えた特別なトレーニングメニューはありますか? 

走ることはベースなんですけど、それ以外に、未知の環境やトラブルで自分がどうなるか、どう対処すればいいかを知るトレーニングは大事にしています。サハラ砂漠でのレースの前は、熱中症やゼロ睡眠などに自分はどこまで耐えられるのか、どうすれば回復するかなども体験しました。そういう情報自体がそもそも少ないですし、自分で体験しないとわからないですからね。

 

――今年は新型コロナの影響でレースが延期になったり、トレーニングも思うようにできなかったりしたのではないかと思います。そのあたりのご苦労もあったのでは?

いろいろ苦労したことはありました。モチベーションも最初は下がってしまいましたけど、SNSでつながっている人たちの頑張ってる姿を見て「落ち込んでられないな」って思いました。直接会うことはできない中で、みんなそれぞれなりに考えて取り組んでいる様子がいい刺激になり、立ち直らせてもらいました。

 

――ネットを使ったオンラインランニングイベントを開催されたり、ご自宅のマンションの階段でエベレストの高さまで登るというチャレンジもされていましたね。

今年5月に予定されていたヒマラヤのレース※9にエントリーしていて、2月3月はレースに備えて高所の低酸素環境に備えたトレーニングや雪山合宿などを行っていたんです。それが、新型コロナの影響で3月19日に延期が発表されました。知らせを見て…いろいろな感情がありましたが、やはり、そういう状況でもチャレンジは止めたくないと思ったんです。「それなら自宅でエベレストに登ろう」ということで、3月31日に、自宅マンション1階分の階段を使ってエベレストの標高8,848mまで上り下りする「階段エベレストチャレンジ」を行いました。

※9 Himal Race ネパール/ヒマラヤ山脈850㎞ 山岳最高峰レース 日本人初挑戦

 

 

――自宅でエベレスト登頂とはすごい発想ですが、それはまた別の意味で過酷そうですね。

景色が変わらないという環境、自宅なのでいつでも止められるシチュエーション、そして単純な作業、その三拍子がそろっているといちばんメンタルにきますね。それを何十時間もするっていうのは肉体的にも精神的にもトレーニングにもなりました。まあ、何かそんな感じだろうなというのはもちろんわかってたんですけどね。面白いわけがないと。でもまあ、やってみてより実感したなって感じで(笑)。やっぱり、実体験がいちばん得られるなというのがありました。

 

――まだまだ先が見えない状況ですが、今、目標としているレースについて教えてください。

直近の目標は、2021年2月28日から10日間、アラスカで行われる560㎞のレース※10です。アラスカの氷雪地帯を食料や寝袋などを乗せたソリを引いて走るノンストップレースですね。このレースには、240㎞、560㎞、1,600㎞の3つのレベルがあって、240㎞レースをクリアすると560kmレースへの出場資格が与えられます。僕は2019年の2月に240㎞※11をクリアしました。

※10 Iditarod Trail Invitational アメリカ/アラスカ560㎞ 日本人初挑戦

※11 Iditarod Trail Invitational アメリカ/アラスカ240㎞ 4位 日本人初挑戦

 

――240㎞のレースでは、マイナス30℃の闇の中を寝ずに進んだり、レース中に幻覚が見えたり、かなり厳しい経験をされたそうですね。

幻覚、ありましたね。風景がずっと変わらなくて、白い大地がベッドや枕に見えました。自然環境でいくと、アラスカはいちばん厳しいかもしれないですね。寒さもあるし、降り積もった雪の上を歩かなければいけないし、しかも15㎏のソリを引っ張って行かなければいけない。その状況で山もあり谷もありというコースを4日間歩き通しました。ノンストップレースなので、睡眠時間は4日間で合計5時間程度。そんなことをしていると、体力というか筋肉が崩壊するんです。ゴールの頃には足が使い物にならなくなって、本当にもうそれ以上進めないんじゃないかというくらいになりました。これではとても560㎞は無理だなと。これまでピレネー850㎞などの経験があってもそうなりました。

 

――それなのにアラスカ560㎞に挑戦される。距離は前回の倍以上です。どう対策されますか?

雪の上でソリを引くというのは荒野や砂漠などを走るのとはまた違う要素があるんです。だから、まずそれに近いトレーニングをということで、今、タイヤ引きに取り組んでいるところです。タイヤを引きながら30㎞、50㎞、100㎞と距離を伸ばしていこうと思います。また、睡眠時間を追い込むトレーニングも行っています。この6月に金剛山や生駒山など大阪近郊の山で54時間眠らずに行動し、10月には六甲山脈縦走ルートを往復し続ける55時間無睡眠ランを行いました。距離は180㎞ほどでした。

 

――55時間無睡眠ラン180㎞…レースの厳しさがうかがえます。本番に向けて、他に課題はありますか?

前回のレースは運よく天候に恵まれました。晴れとか曇りだったんです。それでも夜の気温はマイナス30℃でした。天候が荒れるとマイナス40℃くらいになりますし、しかも風速が出ると体感温度がさらに10℃くらいは一気に下がりますから、ブリザードに襲われたら体感温度はマイナス50℃くらいになる。そうなるともう進むこともできなくなってその場で野宿もあり得ます。そうなったら火はどうするのか、水の確保はどうするのか、最悪の場合はどう対処するのか。

 

――死と隣り合わせの環境。どう乗り越えるかは情報収集も重要になりますね。

前回は、北極圏の冒険家の方や同じような極寒地のレースに参加された方など、本当にいろんな方に話を聞いて知識と知恵を学んで臨みました。経験者に聞いてみないとわからないことも多いです。たとえば、防寒対策としてコヨーテの毛皮がいいということも教えてもらいました。

 

――レースの日程は2021年2月ですが、開催される見通しですか?

現在のところ、アメリカ政府が禁止しない限りは開催する方向で進めると聞いています。ただ、中止になる可能性はあります。アラスカはものすごく広大です。レースの途中に設けられたチェックポイントは民家やロッジなのですが、その周囲には病院などはありません。万一そこでコロナが発症すると、患者を病院まで輸送するのにヘリで飛ばないといけない。主催者はそこを懸念していました。だから、開催がさらに翌年にずれる可能性もあります。その時は翌年まで頑張る心づもりでいます。

 

 

新しい世界、新しい出会い。「チャレンジは面白い」。

――10月26日に著書「地球のはしからはしまで走って考えたこと」が出版になりました。

僕のこれまでのチャレンジ、成長・挫折・挑戦の物語を綴ったノンフィクションです。これまでのレースの中から特徴的なものを抜粋して、レースの詳細な記録とともにその時の僕の感情なども赤裸々に綴りました。また、アドベンチャーマラソンという超マイナースポーツで、現実社会とどうやって両立させていったのかということや、失敗談笑えるエピソードなど、バックストーリー的なことも盛り込みました。

 

――「こんなレースがあるのか」という驚きやレースの魅力はもちろん、北田さんがアドベンチャーマラソンに挑戦するまでのいきさつもすごく興味を覚えました。この本で北田さんがいちばん伝えたいことは何でしょうか。

チャレンジは面白い」って伝えたいですね。チャレンジには成功や失敗がつきものだし、失敗を恐れて一歩が踏み出せなくなったり、人目を気にしてすごく窮屈になったり、そういうことで苦労する人も多いと思います。実際に僕もそうでした。自分には何ができるんだろうか、どうしたらいいんだろうかって、何年か悶々として苦しんだ時期もありました。でも、何かやってみると出会う風景があって、出会う人がいて、そこで成長する喜びを感じられる。本当に、カッコ良くなくていい、ぶつかりながらでいいと思います。僕自身、そう思って何十年もチャレンジしてきました。その時々の本当の思いを綴ったので、何かにチャレンジしたいと思っている方にきっかけを届けられたら嬉しい。

 

――北田さんは本書のほか雑誌にもコラムを連載されていますし、SNSYouTubeなどではレース動画やトレーニングの様子などを配信されています。こういった情報発信に取り組む理由は何でしょうか?

分かち合いたい」と思うんです。僕が感じた喜びや感動、あるいは苦労して乗り越えた学びなどを、興味ある方、必要としている方と分かち合えたらと。アドベンチャーマラソンは、未知の出来事の連続です。だから、僕の経験を通じて「この先どうなるんだろう」という期待や不安、マンガを読むようなワクワクする気持ちを感じてもらえたらいいなと。僕自身、これからも未知なるレースへのチャレンジに向かって行きます。僕の経験を一緒に楽しんでもらえたら、そこから何か感じてもらえたら、それがすごく嬉しいです。

 

プロフィール

北田雄夫 Takao Kitada アドベンチャーランナー

1984年生まれ、大阪府堺市出身。学生時代は短距離走者で、大学3年次には4×400mリレーで日本選手権3位。卒業後は一時スポーツから遠ざかるが、「自分の可能性に挑戦したい!」とアドベンチャーマラソンを志す。2014年、30歳で中国/ゴビ砂漠250㎞のレース走破をスタートに、2017年には7大陸のレースを走破。現在は「ジャングル」「砂漠」「山岳」「寒冷地」の4大極地最高峰レース走破に挑戦中。また、「情熱大陸」などのメディア出演をはじめ講演やレースイベントも実施。SNSやYouTubeでの情報発信も積極的に行い、走ることを通じて地域を盛り上げる活動などにも取り組む。雑誌でコラムを連載し、2020年10月に初めての著作「地球のはしからはしまで走って考えたこと」上梓。

 

競技実績

2014年 Gobi March 中国/ゴビ砂漠250㎞ 51位
2014年 Atacama Crossing チリ/アタカマ砂漠250㎞ 64位
2015年 The Track オーストラリア/荒野521㎞ 10位※
2015年 Fire+Ice アイスランド/火山地帯250㎞ 3位※
2016年 Grand to Grand Ultra アメリカ/荒野273㎞ 8位
2016年 The Last Desert 南極/氷雪250㎞ チーム戦 2位
2017年 Ice Ultra スウェーデン/北極圏230㎞ 3位※
2017年 Ultra Africa Race モザンビーク/サバンナ2019㎞ 3位※
2018年 Alvi Trail Liguria イタリア/山岳400㎞ 15位※
2018年 Trans Pyrenea フランス/ピレネー山脈850㎞ 自主レース 踏破
2018年 Tuscobia Ainter Ultra アメリカ/氷雪256㎞ 15位※
2019年 Iditarod Trail Invitational アメリカ/氷雪240㎞ 4位※
2019年 Jungle Ultra ペルー/ジャングル230㎞ 6位
2019年 La 1000km Mauritanie モーリタニア/サハラ砂漠1,000㎞ 6位※
※日本人初挑戦

 

公式サイト https://takaokitada.net/
Facebook  https://www.facebook.com/takao.kitada.5
公式YouTubeチャンネル https://www.youtube.com/c/takaokitada
アドベンチャークラブ(公式ファンクラブ) https://takaokitada.net/club/

著書「地球のはしからはしまで走って考えたこと

 

Michio Kii

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