【編集長の与太話】ココロに空いた大きな穴をうめてくれた、東京ドームライブ。

 

斜め前の席のお姉さんが、1曲目の“真珠色の革命時代~Pearl Light Of Revolution~”が流れはじめた途端、泣きだしていた。もちろん、私も同じように涙をためていたのだけど、自分ではない、誰かが泣いている姿を見て、このライブをやることの価値を本当に実感できた気がする。

 

11月3日(文化の日)、THE YELLOW MONKEYが「30th Anniversary LIVE」を東京ドームで開催。今年4月にドームツアーのファイナルとして行う予定だった東京ドーム2デイズが新型コロナウイルスの影響で中止となったことで、新たに設定された今回。コロナ禍後にドーム規模で行う初のライブとなり、観客は収容人数の半分以下である19,000人、検温、消毒、入退場の規制はもちろんのこと、2週間以上前から接触確認アプリ「COCOA」のインストールを必須とするなど、できうる限りの対策を取られての実施となった。

 

コロナ禍後に行う初の大規模ライブとなったこの公演には各方面から注目が集まり、当日は密着する取材も入っていた。実際、バンドや運営サイドには計り知れない重圧があったと思う。開催を決断した勇気に、いちファンとして心から感謝したい。

 

もちろん、ライブの成功はファンの行いも重要。開催の重みと緊張感をもつのは参加するわたしたちファンも同じことで、当事者として「絶対に感染しない!させない!」というプレッシャーを胸にライブまでの日々を過ごし、当日の会場内外でも運営のアナウンスにしたがっておとなしく過ごした(それがロックらしくない!とか、まったく思わない)。

 

さすがに、声を出せないのは少しもどかしかったが、カラダを使えば感情表現はいくらでもできるもので、腕を上げる、手をふる、タオルを掲げる(運営からもってくることを推奨されていた)、踊る、跳ねる、手拍子をとる、拍手をする…。ボーカルの吉井和哉が「声はいりません、カラダでください」といっていたけど、その場にいたファンたちは彼らへの愛を全身で表現して伝えていて、カラダはとても雄弁なのだと改めて感じた。

 

緊張感のある空間で、いつもと違う様式のライブをする。そのことにバンドもファンも戸惑いがまったくなかったとは思わないし(実際、最初の2〜3曲はお互い手探りでかたかったように感じた)、演出やセットリストなども何かいおうと思えばなんとでもいえる。でも、そんなことはどうでもいい。

 

大好きなバンドが、ライブをやってくれる。

それが、どんなに幸せなことか、わたしたち(少なくとも音楽ファン)は実感しているのだから、全身で、全力で、楽しめばいい。

そして、この日のライブは、その幸せをめいっぱい与えてくれていた。

 

話は逸れるが、ライブの次の日に見たドラマ(これにも推しがでている)のなかで、登場する精神科医がこんなことをいっていた。「人はもともと心のなかにぽっかりと穴が空いている。空いたままで平気な人もいれば、何かで埋めないといけない人もいて、それが恋人や家族、趣味でもいい。何かで人は心に空いた穴を埋める」と。

 

11月3日のライブはまさしく、わたしの心にぽっかりと空いていた穴を埋めてくれるもの。

それは、わたしだけでなく、斜め前の席で泣いていたお姉さんも、会場で・配信でこのライブを観ていたすべてのファンも、心に空いた穴を埋めることができたのではないだろうか?

 

改めて思う、穴を埋めてくれるものがあることは、なんと幸せなことなんだろう。

 

この日のライブで最後に鳴ったのは“プライマル。”。2001年の活動休止後にリリースされ、2016年の再集結後の初ライブとなった代々木体育館ではじめて演奏された曲。あのとき、わたしたちはうれしさと奇跡にふるえて泣いていたっけ。

 

コロナのある世界で新しい扉を開いた東京ドームライブの締めくくりとして、これ以上ないくらいにふさわしい曲が終わると、吉井和哉が叫んだ。「またやるぞー!」。

そうくるなら、わたしたちは「またくるよー!」とカラダとココロで応えるまでだ。

masami urayama

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