7月18日、かつて所属した京都サンガのホームスタジアム・西京極の一室で、インタビューは始まった。引退セレモニーを行ったばかりの黒部光昭氏は、静かな声で語り始めた。15年間のプロ生活、平たんではなかった歳月。淡々と語るその言葉の端々に、サッカーへの想いがほとばしる。ただひたすらサッカーを突き詰めてきたレジェンドは、セカンドキャリアという新しいステージをどんな想いで迎えているのだろう。
京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)、セレッソ大阪 在籍 黒部 光昭 氏
真摯にサッカーと向き合った日々。
仲間たちとつかみ取った天皇杯優勝。
――15年間の現役生活、お疲れ様でした。いちばん長く在籍されたのがキャリアをスタートされた京都パープルサンガ(当時)でした。印象的なことは何ですか?
個人的にはシーズン30得点や日本代表などいろいろありますが、クラブでの経験でいうと2003年元日の天皇杯優勝になります。ぼくが入団した2000年シーズンは有名な選手がたくさんいましたが、J2に降格したことでチーム自体が若手にシフトし、若い選手たちが成長していったんです。ぼくもそう。(朴)智星もそう。松井(大輔)もそう。素晴らしい選手たちがたくさんいて、その成長が結果につながったと思います。関西に初めてもたらしたタイトルは、ぼくにとっても誇りです。
――あの試合の決勝点は黒部選手のシュートでした。現役時代の黒部選手はひたむきでストイックな印象がありますが、どんな選手だったんですか?
サッカーが好きでした。サッカーと向き合って、どうしたら少しでも上手くなれるだろうかって、そんなことばかり考えていました。プロである以上、結果が第一です。チームが勝つためには自分が結果を出すしかない。だからまず自分のためにプレーしよう、目の前の仕事をやろうと思っていました。本当はたくさんの人たちに支えられていたと後になって気づくのですが、当時はそんなことを感じる余裕すらありませんでした。
トライアウトでカターレ富山へ。そして、タイへ。
「サッカーすることを最優先に考えていました」
――2009年、アビスパ福岡との契約満了の後、トライアウトを受けられましたね。
正直、引退も考えました。当時32歳、プロ10年で区切りもいい。プライドもある。「でも、サッカーをやりたい」。だったらプライドなんか関係ない、トライアウトを受けようって。それで、当時J2昇格2年目のカターレ富山から、若いチームにベテランの力が必要だと連絡をいただいたんです。嬉しかったですね。
――そのカターレ富山で、3年連続チーム得点王と活躍されました。どんな想いでプレーされていたんですか?
勝つために何ができるか、それだけです。勝てない試合も多く悔しい想いもたくさんしました。でも若い選手たちは本当にみんな一生懸命がんばっていた。だから、ぼくのサッカー人生をかけて何とかこのクラブを強くしたいと思っていました。プレーはもちろん日常生活も含めて、ぼく自身がプロとしての姿勢を示すことで、プロの在り方を学んで欲しいと。
――カターレ富山を退団後もまたトライアウトを受けられて、さらにタイで1年間プレーされました。2015年3月6日、引退を決めたきっかけはあったのですか?
年齢的な苦しさも感じていたし、身体中に痛みもあって、限界は感じていました。それでも、チャンスがあればプレーしたいんです。それで帰国後もしばらくは答えを出せずにいました。するといろいろな方が「今、何をやっているんだ?」と連絡をくださって。お世話になっている方々に心配をかけてはいけないと思い、37歳の誕生日に引退を発表しました。でも、発表して良かった。京都サンガとセレッソ大阪の試合の日に関西レジェンドマッチを組んでいただき、引退セレモニーの機会も与えていただけましたから。
選手や指導者だけではない。
サッカーを支える力になりたい。
――引退を発表されたご自身のブログ、「サッカー選手は死ぬまでやめない」というフレーズが印象的でした。
プロを引退してもサッカーは続けられます。関西レジェンドクラブもレジェンドマッチ開催に動いていますよね。それに、和歌山、奈良、滋賀などで今後Jクラブが増えていけば、レジェンドクラブの活動もさらに広がるでしょう。ぼくもそのメンバーとして、関西を盛り上げていけたらいいなと思っています。
――では最後に、ご自身のこれからについて教えてください。
プロサッカー選手のように、努力や我慢を重ねながらひとつのものを突き詰めて頑張ってきた人はなかなかいません。その経験を活かせば、サッカーの現場を離れてもセカンドキャリアで活躍できます。ぼく自身、現役時代に地元・徳島にフットサル場をオープンした経験があり、マネジメントの勉強もしてきました。今後、その分野でサッカーに関わっていけたらと思っています。
黒部 光昭 氏
元日本代表。福岡大学時代はユニバーシアード代表でも活躍し、2000年京都パープルサンガ(当時)に入団。セレッソ大阪、浦和レッズなどJリーグ6クラブを経て2014年タイTTMカスタムズFCでもプレーした。
Photo by HEBU Text by Michio KII