どんな時も“京都サンガ”であるために。

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京都サンガF.C. GM 祖母井 秀隆 氏

若手中心でチームをつくりあげてきた3年間――最後の最後で、昇格は叶わず。
それでも前に進まなければならないクラブに、今年、バドゥ監督がやってきた。
明るく、熱く、真っ直ぐな笑顔と繊細な心くばりは、まわりの人々を魅了する。
祖母井GMの旧友であり、世界15クラブと3カ国の代表監督を務めた新監督のもと
京都サンガは、4年目のJ2リーグを全員で戦う。

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目指すのは、みんなのチーム。 選手自ら考えプレーするチーム。

 

――まず、2014シーズンの京都サンガについて。

「新しい監督が来られて、コーチも変わりました。山瀬がキャプテンになり、新加入選手も若手から経験のある選手まで来ました。これからみんなで京都サンガのサッカーをつくっていく。そういう意識を高くもってシーズンに臨んでいます」

 

――昨シーズンはプレーオフ決勝で昇格ならず、本当に残念でした…

「大木体制で3年間頑張って、いいところまできたけれど最後の最後でダメだった。そういうことが2年続きますと、みんな前に向かっていくというより、どうしても不安がよぎってしまう。そんな中、バドゥ監督は明るい雰囲気をもたらしてくれました。それは、今のチームだけではなくクラブ全体にも大事だったかなと思います」

 

――新監督になって、チームは変わりましたか。

「たとえば、練習スタイルは変わりました。これまでは、試合の翌日は軽くダウンする程度の練習でしたが、バドゥ監督はしっかり練習されます。ただ、変わったというよりも、大木体制3年間で培ってきたものは残しながら、昇格を目指してさらに練習を重ねていくイメージです」

 

――これまでの3年間を継続、ですか。新監督の目指すサッカーは?

「理想のサッカーはお持ちでしょう。でも、ピッチ上でプレーするのは選手たちです。監督の指示を待つのではなく、選手同士で積極的に話し合い、選手自ら考えプレーすることを、監督は大事にされています。そうやってチーム力を上げていくことが昇格するためには大切ですし、そのベースがあれば次につながっていきますから」

 

――次につながる、ですか?

「カリスマ性のある監督を招聘して、チームを強化することはできるでしょう。でも、監督の理想を要求しすぎると、選手は監督についていくだけになってしまう。そうすると、監督が変わったらチームには何も残りません。そうはならないチームづくりを考えているのです。バドゥ監督のチームではない。誰かひとりのチームでもない。みんなで戦うチーム。京都サンガF.C.というチームづくりです」

 

――監督は、練習ではどんな指導をされるんですか?

「今は、ずっと見ておられますね。観察する前に“どういうサッカーをする”ってありえないですから。どこを強化すべきか、どこがいけないところか、この戦力だったらどういうサッカーができるか。それが共有できているから、コーチたちにもかなりの部分を任せておられます。そういう自由な部分というのは必要じゃないですか。サッカーに限らずね」

 

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サッカーピープルを増やすために
バドゥ監督が教えてくれること。

 

――2014シーズン、開幕勝利でスタートしました。試合終了後、ベンチから真っ先に祖母井GMのところに走って行かれたバドゥ監督、印象的でした。

「あの時、私の近くにバドゥ監督の夫人がおられたんですよ。だから、そちらに行くと思っていました。わーっと走って来られて、夫人の方だと思っていたら、私の方に接近してきたので“あ、ぼくなんかな”…」

 

――そうだったんですか(笑) 祖母井GMはバドゥ監督の旧友と伺っています。

「35年前ですね。私がケルン体育大学にいた頃です。大学にフットサル場があって、毎週木曜日に南米の人たちがサッカーをしに来ていました。その中にバドゥ監督がおられたんです。あの頃から変わりませんね。風格というか、どっしりとした感じで。当時そこには、ペルーやチリや南米のいろいろな国の人がサッカーをしに来ていて、私も一緒にプレーしていたんですが、私以外のメンバーは、全員が代表監督になりました」

 

――全員が代表監督…すごい青春時代ですね。

「今も青春ですよ」

 

――そのとおりです! バドゥ監督は日本へはお一人で来られたんですか? スタッフを連れて来られる監督さんも多いですが。

「バドゥ監督は、どこ(のチーム)に行くのも一人です。でも、一人だけ連れて来られました。夫人のエリカさんです。この夫人が、ただ者じゃない。20数年間ずっとバドゥ監督のいちばん身近なスタッフとして、選手の集中力トレーニングや食事のケアなどをサポートしてこられました。その功績から、監督に代わって表彰された経験もお持ちです。京都サンガの試合でも、ホームもアウェイも帯同されます」

 

――監督ご自身は、どんな方ですか?

「明るくてユーモアのある方ですよ。よくサッカーの試合の後に、選手たちがスタンドに向かってつないだ両手を上げて挨拶しますよね。バドゥ監督は、初日の練習でそれをやりました。みんなで手をつないで、見学に来られた方々に向かってわーっと走って行ってね。ファン・サポーターに対してなかなか気持ちをオープンにできない選手も多いですから“私がやらなくては”という思いもあったでしょう。もっと笑顔で接していこう、と。ファン・サポーターへの笑顔が、次は自分たちをサポートしてくれるわけですから」

 

――まわりを夢中にさせる方ですね。オフ・ザ・ピッチでもそうなんですか?

「城陽市(京都サンガのホームタウン)で激励会があったのですが、そのスピーチで、来日した時に買った着物の金糸が城陽市の特産品だったとか、市内の有名な古墳についてもお話されました。みなさん、感激されていましたよ。今、インターネットで何でもすぐ情報が得られる時代です。でも、それをするかしないかは、相手に興味を持っているかどうか。バドゥ監督の人柄もありますが、出会う人々に興味を抱き、相手の気持ちに細かく配慮されている姿勢は、とても勉強になります。そこもスポーツ文化なんです。サッカーピープルを増やすために、そういうところは選手たちも我々も、積極的にやっていかなければいけないところだと思っています」

 

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たとえトップが変わっても
ずっと変わらない“京都サンガ”をつくりたい。

 

――今年のトピックのひとつに、佐川印刷京都さんとの業務提携があります。

「これまでも京都サンガの若い選手を在籍させていただき、昨年から引き続き國領選手と齊藤選手が期限付きで移籍しています。さらに今年は、指導者として森岡コーチを派遣しました。お互いに、すごくいい交流になっていると思います」

 

――関係を密にされた狙いは?

「U-19、U-20世代の強化策の一環です。サッカー先進国と言われる国々と日本の違いは何かわかりますか? 若い選手が試合に出られるチャンスの多さです。私がグルノーブルにいた頃にチームに在籍していた若い選手、ジルー(アーセナル)やフェグリ(バレンシア)もそうやって成長しました。でも今の日本では、試合に出られる環境が十分ではありません。J3ではJリーグのアンダー22選抜ができました。U-12の優秀な子どもたちを育成する動きもあります。でもそれはごく一部、サッカーエリートを養成するピラミッドでのこと。帝京高校で監督をされていた古沼先生がおっしゃっていましたが、いい選手はピラミッドじゃないところから出てくることもあるんです」

 

――そういうところにも、世界との差はあるのですね。

「サッカーをしたい子どもたちは増えているのに、思いきりサッカーができる環境はまだまだ少ない。試合があっても出られるのは選ばれた子どもだけ。でも、私が滞在していたドイツやフランスでは、みんな試合に出られます。施設的な問題もありますが、向こうでは、大人たちが子どもたちと関わるための時間があるなど、環境も整っていますから。子どもたちは毎週試合に出て、真剣に、そして楽しんでプレーする。そうすると、サプライズがいっぱい出てきます。人って、環境で変わります」

 

――そのあたり、海外の若い選手は違いますか?

「たとえば昨年、U-17ワールドカップでUAEに行ったのですが。日本の選手は、足の部位を使い分けて3種類のキックを蹴っていました。インサイドキック、インステップキック、アウトサイドキック。でも優勝したナイジェリアの選手は、足全体を使って蹴っている。それは指導された技術ではなく、遊びや実戦の中で獲得したものでしょう。教えられるばかりではなく、選手自ら勝ち取らなければいけないフリーの部分。そういうことも、日本にはもっと必要です」

 

――もうひとつのトピック、今年、クラブは20周年を迎えます。

「京都サンガの歴史、いろいろな方が携わってこられました。多くのスター選手が活躍しました。大型補強で強くなりました。素晴らしいことです。だけど、監督やGMが変わるとチームも変わった。これからは、そういうクラブづくりはしない。バドゥ監督も、今井社長も、GMである私も、いずれクラブを去る時がきます。でも、次の人にバトンタッチしても、ずっと継続していけるようなクラブにしたいのです」

 

――トップが変わっても変わらないクラブ。日本には、そう多くはなさそうです。

「そうですね。それをつくるためには、やるべきことはたくさんあります。勝利だけではない、経営の安定も必要ですし、何よりも夢がなければいけない。子どもたちからシニアまで、地域の人たちを巻き込んで、みんなが元気になるクラブを継続させていく。たとえ時間がかかっても、ずっと変わらない京都サンガをみんなでつくっていきたい。そういうことのスタートの年になればと思います」

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Text by Michio KII

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