現役20年目を再び京都で。このチームで成し遂げたいことがある。

 

おこしやす京都AC

斉藤 大介 選手

1999年にサッカー選手として歩み始め、今季で20年目を迎えた。「サッカー選手としてのキャリアをスタートさせてもらった、思い入れのある特別な土地」で、新たな仲間とともに昨年果たせなかった目標に挑む。

 

引退も考えた。今年こそJFL昇格を。

 

――まずは、おこしやす京都ACに加入された経緯をお聞かせください。

 

去年、高知ユナイテッドと契約を更新しないと決まって間もないうちに連絡をいただきました。一昨年にもお声がけいただいていたんですがお断りしていたので、また自分を必要としていただけたことをとても有り難いと感じました。第二の人生を踏み出そうかとも考えていたのですが、そのオファーのおかげで京都に戻ってもう一度やってみようという気持ちにさせてもらいました。

 

――引退を考えておられたんですか?

シーズンを終えるとき、やりきったという感覚があったんです。全国地域サッカーチャンピオンズリーグでは、90分の試合が3日間連続で行われます。Jリーグだと中2日や中3日で試合が続くことはあっても、3日連続という試合はありません。地域リーグに来なければ知ることがなかった、非常に過酷なレギュレーションでした。僕はチーム最年長の37歳だったんですが、2日目には身体が悲鳴を上げ、3日目は気力だけで戦い抜きました。チーム目標のJFL昇格は果たせませんでしたが、270分で自分が持つ力のすべてを出し切ることはできた。これが節目なのかもしれないと考えていました。

 

――その大会では、初日にアミティエSC京都(現・おこしやす京都AC)と対戦しました。0−1で敗れていますが、対戦相手としてどう感じましたか?

昨シーズンの中で唯一、チームが積み重ねてきた戦い方をできない試合でした。1人1人がハードワークし、どんどんプレッシャーに来る。自陣で引っ掛けられて失点するのを恐れ、ボールを繋ぐことができませんでした。四国リーグでは高知が頭抜けている状態でしたが、相手は関西リーグの接戦を勝ち抜いてきていたので、経験の差や勝負強さに差があったのかもしれません。

 

――実際にその関西リーグに来てみて、どのように感じていますか?

リーグ内で大きな差はなく、少しでも隙やほころびがあれば崩されますので、難しいリーグだと思います。前期に全チームとの対戦を終え、相手より走らなければ勝てないと感じました。目標であるJFL昇格のため、1戦1戦を大事に、監督の考える戦い方をチームとしてピッチ内でしっかりと表現し、勝点3とチームとしての力を確実に積み重ねていきたいと考えています。

 

現役20年目、背中で示す選手になっていきたい。

 

――斉藤選手は大阪府高槻市の出身ですが、京都に「戻る」と表現されていますね。

プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせてもらったゆかりある土地ですし、9年半もの長い時間を京都で過ごさせてもらいました。地元ではないですが、特別な想いがあるので自然に「戻る」と表現してしまっているのかもしれないですね。高知には単身で行っていて、家族は京都で暮らしていましたし。息子も小学生になってから、京都でサッカーを始めたんです。AS.ラランジャ京都のスクールに通っています。

 

――アミティエではなく、ラランジャのスクールですか?

家から1人でも通える範囲で、人工芝のグラウンドで指導してもらえるところがあったので、去年からお世話になっていて。今となっては、同じカテゴリーのライバルチームなんですけどね(笑)。息子の指導をしてくれていた真那コーチ(AS.ラランジャ京都の中尾真那選手)との対戦も楽しみにしていました。父親として現役でプレーする背中をまだ見せられることも、京都に戻って来られてうれしいと感じたことの1つです。

 

――その現役生活も、今年で20年目となります。高校を卒業して京都に来られた当初のことは覚えてらっしゃいますか?

紅白戦にも出られないし、監督やコーチ、先輩たちを叱らせてばかりでしたね。当時はサテライトリーグもありましたが、サテライトチームの試合メンバーにも入ることができず、悔しさを感じるところからスタートしました。その分、いつか見返してやろう、やってやろうという気持ちは強くあったと思います。その後、試合に出してもらえるようになって、J2降格やJ1昇格、天皇杯の優勝など、多くのことを経験させてもらいました。

 

――その中で最も思い出深いことがあれば教えてください。

1999年の夏から2000年にサンガに在籍されていたカズさん(三浦知良選手)には随分かわいがってもらいました。週に何度も食事や銭湯に連れていってもらい、いろんな話をさせてもらいました。カズさんから学んだことは財産だなと感じています。常に先頭に立ってジョギングし、練習が終わっても自分が納得できるまでシュート練習をしていましたし、身体のケアや食事も徹底されていました。

 

――その当時の斉藤選手は19歳、20歳。若かったからこそ、学ぶことは多かったでしょうか?

そうですね。カズさんのスタイルとは違いますけど、僕も自分だけしっかりやれていればいいという年齢ではなくなりました。言葉で伝えるのも1つですが、自分の背中を見て「ベテランの選手がこれだけやっているんだから」と思ってもらえるような選手になっていきたいです。

 

 名は体を表す、 チームの魅力。

 

――京都に戻られましたが、今のチームをどのように感じていますか?

楽しい雰囲気を作るのが上手いチームだと感じています。シーズン前にキックオフミーティングがありました。これまで所属したクラブでのキックオフは、ホテルの宴会場での盛大でかしこまったパーティーで、僕たち選手の役割は壇上で自己紹介をすることとサインや写真撮影に応じる程度でした。ところがこのチームでは、選手たちがマイクを持って進行したり、ショートコントや一発芸を披露したりするんです。しかも、それがおもしろくて。あまりにも新鮮で驚きました。

 

――私も出席させていただきましたが、たくさん笑わせていただきましたし、会場もとても盛り上がっていたと思います。

そうでしょう?!みんなとてもおもしろいんですよ、僕もずっと笑っていました。特に脇(裕基選手)とコンちゃん(近藤将人選手)はポテンシャルが高いので、なんでもできそうな気がします。自分たちも楽しんでやっているとは思いますが、あんな風に来てくださった方たちに「楽しんでもらいたい」という気持ちを表現するのは簡単ではないと思うんです。素晴らしいチームカラーだと感じています。

 

――2018年3月31日にチームの名称が「アミティエSC京都」から「おこしやす京都AC」に変更されました。チーム名でもある「おこしやす」という気持ちをみんなが体現できるというのはステキですね。

みんなそういう人柄なのでチームも本当に仲が良いですし、スタッフもみんな熱い気持ちを持った方ばかり。だからこそ、このチームでJFL昇格を成し遂げたいんです。京都にはJクラブのサンガもありますし、なでしこリーグの京都バニーズSCやBリーグの京都ハンナリーズなどもあります。様々なスポーツチームがある環境なので、よりたくさんの方にチームの魅力を知ってもらい、「また観に行きたい」という試合をしていかなければいけないなと思っています。僕たちと一緒に笑ったり喜んだりしてくれる人が、これからさらに増えてくれればうれしいですね。

 

斉藤 大介 選手

1980年8月29日生まれ、大阪府高槻市出身。金光第一(現・金光大阪)高校卒業後、京都サンガF.C.に加入。2002年には天皇杯優勝に貢献した。9年半在籍したのち、ベガルタ仙台、徳島ヴォルティスなどで活躍。

Text by Kaori MAEDA

 

 

 

Michio Kii

関連記事